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アルブレヒト2世 (メクレンブルク=シュヴェリーン公) : ウィキペディア日本語版
アルブレヒト2世 (メクレンブルク=シュヴェリーン公)[あるぶれひと2せい]

アルブレヒト2世(Albrecht II., 1318年 - 1379年2月18日)は、メクレンブルク=シュヴェリーン(在位:1352年 - 1379年)。スウェーデンも兼ねたアルブレクトの父。また、北欧三国(カルマル同盟)の君主を兼ねたエーリク・ア・ポンメルンの曾祖父でもある。
1329年、父のメクレンブルク侯ハインリヒ2世の死に伴い、領土を弟のヨハン1世と共に相続、1348年神聖ローマ皇帝カール4世によって公爵に昇叙され、1352年に領土を分割、ヨハン1世にシュタルガルトを分与(メクレンブルク=シュタルガルト公国)、自らはメクレンブルクの広大な西部地域を保持し、1358年シュヴェリーン一帯を獲得した後はシュヴェリーンを公爵の居所とした。
1336年、スウェーデン王女エウフェミアと結婚した。彼女の父はスウェーデン王マグヌス3世の次男エリク・マグヌソン、母はノルウェーホーコン5世の娘インゲボルグであり、兄マグヌス4世はその縁で両国の王に即位した。アルブレヒト2世もこの姻戚関係を元にスカンディナヴィア半島に地歩を築き、1362年デンマークヴァルデマー4世の長女インゲボーと長男のハインリヒと結婚させた。2人の間にアルブレヒト、マーリア等の孫が生まれたが、マーリアは1380年ポンメルン公ヴラティスラフ7世と結婚、エーリクを生む事になる。
一方、スウェーデンではマグヌス4世がスウェーデン貴族の争いに敗れ1364年に退位した。マグヌス4世には次男にホーコン6世がいたが(長男のエリク12世は既に死亡している)、貴族達は彼の即位を阻止すべくアルブレヒト2世の同名の次男(スウェーデン名アルブレクト)をスウェーデン王に選出した。
1379年に死去した。それから10年後の1389年にアルブレクトはデンマーク軍に敗れて廃位され、エーリクが1397年に即位する事になる。
== 家族 ==
エウフェミア(1317年 - 1370年)との間に5人の子を儲けた。
#ハインリヒ3世(1337年 - 1383年)
#アルブレヒト3世(1338年 - 1412年)
#インゲボルク(1340年 - 1395年) - ブランデンブルク選帝侯ルートヴィヒ3世と結婚。死別後はホルシュタイン=レンズブルク伯ハインリヒ2世と再婚。
#アンナ(1343年 - 1415年) - ホルシュタイン=キール伯アドルフ9世と結婚。
#マグヌス1世(1345年 - 1384年)
エウフェミアの死後、アーデルハイト・フォン・ホーエンシュタイン(? - 1380年)と再婚したが、子は無かった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「アルブレヒト2世 (メクレンブルク=シュヴェリーン公)」の詳細全文を読む



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